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* 高田泰治 (Taiji Takata)
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2014年2月8日 ポツダム・ハーヴェル城、室内楽ホール

2014年2月8日 Potsdamer Neueste Nachrichten
Ausdrucksvoll statt sentimental Bachs Violinsonaten im Havelschlösschen von Peter Buske

「バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ6曲には肉筆原稿が存在しない。しかし作曲家によって何度も手を加えられたためこの曲には数多くの写譜が存在する。作曲された時期も、ケーテン・アンハルト公レオポルトのもとで 宮廷楽長を努めた時期の最後期に当たる1720年から1723年にかけて、とおぼろげにしか判っていない。」クライングリーニッカーのハーヴェル城、室内楽ホールで満員の聴衆を前にヴァイオリニスト、ウッラ・ブンディースのこのような説 明で始まった今回のコンサートでは、彼女と共に日本人チェンバリスト高田泰治が上記のソナタ全6曲のうち4曲を演奏した。ブンディースの使用楽器は1734年、マントゥアのカミッロ・カミッリ制作。ガット弦を使用し大変ダイレクトで クリアである反面多少ざらついた、時にはエッジの効いた響を持つ。対する高田は同じ時代に製作されたフランドル派の複製を使用。頭でっかちな厳しさを排除したポリフォニーにおいては各声部に対等なパートナーシップが求められ る事を考えれば、この楽器の選択は大変好もしいと言えるであろう。
互いに対する高い親和力を持ったこの二人の音楽家は、禁欲や無機的な完璧とは無関係の生き生きと血の通った、官能に訴える音楽を提供してくれた。芸術的に最も強く印象に残ったのはテンポの遅い楽曲の解 釈である。これらの中には痛み、玄妙な夢、悲しみや情念といったバッハ自身の内なる経験や情緒、感情が開示され聴くものの心動かす。
コンサートの一曲目ソナタ第4番、ハ短調(BWV 1017)はシチリアーノのリズムに揺れるラルゴ楽章が一人目の妻マリア・バルバラ(1970年没)を喪ったバッハの悲哀とシンクロするように思える。この事を考えると、マタイ受難曲の アルトアリア「憐れみたまえ、我が神よ」と酷似しているこの章のテーマがより印象深い。またこのソナタのアダージョ楽章では、アルト音域で動くヴァイオリンに合わせてチェンバロが上声部のメロディで包み込むというふたつの楽器の 明確な音程関係が柔らかく温かい音の情景を生み出す。これら教会ソナタの全てのアンダンテ、アダージョ楽章は決してセンチメンタルになる事なく豊かな表現力を持って演奏されたと言えるだろう。そして一転、テンポの速い楽章は 血気盛んな明朗さと活発な舞踏に満ちあふれ「演奏会形式による生の喜び」といったところ。歴史的理解、解釈を伴った上での演奏法がなせる、埃を被っていた古い音楽-つまり古楽の瑞瑞しい解釈であろう。
高田泰治は軽やかな手首の動きで流れ落ちる滝のごとく、はじけ滴る雫のごとくまた時には滔々と流れる大河のごとく銀色に煌めく音を生み出してゆく。巧みなトリルによってソナタ第2番、イ長調(BWV 1015) で 愛への憧れに満ちた遊び心をひらめかせたかと思えば、ソナタ第6番、ト長調(BWV 1019) では華やかなソロを清冽な透明度で奏でるのだ。
ウッラ・ブンディースは完全なノンヴィブラート奏法でメッサディヴォーチェを使いこなし、完璧な音程かつ心をつかまれる演奏だった。ソナタ第1番、ロ短調(BWV 1014) では円熟の演奏で「音の画家」としての面目躍如。 鳴り止まない拍手の後アンコールが演奏され、コンサート後行われた演奏家と聴衆の交流会では主催者お手製、演奏曲にもぴったりのの「ケーテン風チーズクッキー」が出された。

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